上海到着

2015/8/4

旅の始まり
もう3年の夏休みで、
周りがインターンしてたり留学に行ったりしてる中旅行に行く。
そうした意味では旅行なんかしてていいのかとも思ったりするけど、
自分でやりたいことでこんなに自発的に動けるのも旅行くらい。
貴重な時間を噛み締めて旅をしたい。

プランとしては、上海インアウトで、
一回杭州に行ってから
西安、九寨溝、成都、昆明、大理、麗江と横断していく予定。
国内は全て鉄道移動をしようと思ったけど
計画を詰め込みすぎて時間的に余裕がなくて
西安-九寨溝と昆明-上海は飛行機を使う。



羽田空港に6時半の飛行機だったため、空港に前泊。
空港の屋上にずっといてほとんど起きてた。
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4時半にチェックインをすませて出発。
 
羽田発だったのはよかったものの、大韓航空のため、
仁川を経由して上海に着いたのは日本時間の13:30。
機内食も美味しくなかった、、
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まぁ中央アジアとかスウェーデンの時より数万倍楽だから許容かな。笑


上海は浦東空港に到着。

上海は6年前に家族旅行でも来ている。
荷物を受け取ると被せておいたはずのバックパックのカバー(1000円)が取れていた。
バックパックのカバーは雨や汚れからバックパックを守ってくれるからなかなか重要。
Baggage depositとかインフォメーションセンターとかでなんとか見つけられないか頼んだものの、
無愛想な係員は遺失物の登録すらしてくれなかったから諦めた。
ちなみに2年間習った中国語はまったくしゃべれない上に、英語も上手くしゃべれない。
旅のはじめだから仕方ない、徐々に慣らしていこう。

四日間上海で一緒に行動する奥田とは同じ飛行機が取れず、空港のケンタッキーの前で待ち合わせることにしていた。

待ち合わせの場所を決めておいたものの、
あると思った場所にケンタッキーはない。
さらにサイトが間違っていたのか奥田の飛行機が別のターミナルに到着していて、
空港なのにWiFiも全く捕まらず一時は会えないんじゃないかと思ったが、
急いで別のターミナルに向かったところでちょうど奥田が出てきてなんとか会うことができた。

※ちなみに奥田にとっては初めての海外。
いろいろと困惑することが多かったのが、空港到着後間違えて女子トイレで用をたして捕まりそうになったらしい。笑

まずはホテルに向かう。
空港からは時速430キロでるリニアが走っているから、乗ってみる。
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1日乗車券と一緒になった券を購入(55元)

なぜか車内は暗い。
ものすごい加速力、だが、前回に乗った時同様300キロまでしか出なかった。まぁそれでもかなり速い。

リニア自体は800円程度で日本の新幹線と比べると安いと思う。
しかしなぜか中心部の手前までしか路線が伸びておらず、途中で地下鉄に乗り換えなくちゃいけない。
歩き方には「リニアの待ち時間や乗り換え時間を考えると余裕がある時に使うべき」、と書いてあって笑った。なんのための速さなのか。笑

地下鉄を乗り換えてホテルに到着。
ここは父の知り合いの上海の方に取ってもらった。
外観がかなりボロく、なかなか焦ったけども
ロビーや部屋はかなり綺麗で英語を喋れる受付もいたから良かった。

荷物を置いて街に繰り出したのが17:00。
まずは観光名所、豫園に向かう。
豫園のまわりは屋台やお土産屋が並ぶ。
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驚いたのは人の多さ。
どこに行っても渋谷のスクランブル交差点のような混み具合。

さらに中心部に行くと、中国人カップルに「写真をとって」とお願いされる。
その後どこから来たのか聞かれて
「日本から来た」
と言うと、
「中国人かと思った」と言われた。
彼らは旅行者で英語がそこそこ上手く、話に引き込まれそうになったが、これが実はペテン師なのである。
奥田の友達がこの被害に引っかかっていた話を聞いていたため我々はすぐにわかったが、
もしそれを知らなければそのまま
「お茶を買うのを手伝って欲しい」と言われてお茶を一緒に試飲、購入することになり、3-5万円ぼったくられるとか。
中国人なのに英語が上手であり、日本についてもよく勉強しているために
最後まで気づけない日本人が多いらしく、ネットで見るとたくさんの日本人が騙されている。
それだけ賢いならまともなことに頭を使って欲しいと思ったが、それだけ日本人が騙されやすく儲けやすいということなんだと思う。
いきなり人間不信にさせられて、
「写真を取って」とお願いされると、明らかに一般人でも
どうしてもまず疑ってかかるようになってしまった。

豫園は16:30までで入れなかったため、行列のできていた小籠包の店に並ぶ。
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20分ほど並んでこれを食した。(20元)
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その後は外灘に向かい、船に乗ることにする。
その途中の道で不快感を抱かざるを得ない光景をみた。
ゴミやダンボールのくずが散乱し、腐ったような臭いが充満し、
通りの建物は壁が工事途中のまま放置されている。
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光り輝く浦東と外灘から一歩踏み入るとスラムのような通りがあることを思うと、少し複雑な気持ちで輝く上海のネオンをみることになった。

遊覧船乗り場があったので乗ってみる。(45分:120元)
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昨日乗った日本の納涼船と同じくらいかかった。

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さすがに外灘と浦東の夜景を船から眺めるのは最高。
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青島ビールを飲みながら見た。


その後は南京東路へ行く。
ここは東京で言えば渋谷、ロンドンで言えば のような百貨店街が2キロほど続く。
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ユニクロもあった。


その途中の少し入った庶民的な食堂で夕食を食べる。
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店内はハエが飛んでいて、食事中に普通に掃除もしたりする。

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一つ目に小籠包のでかい版を頼んだつもりがパクチーが入った水餃子のようなものがでてきて、
もう一つ魚介飯も頼んだけど、ご飯が少し水分を吸っていた。
どちらも食べれるけど美味しいとは言えなかった。
周りの中国人は普通に食べていたから、これが彼らにとって普通なのだと思うと初めて日本を離れて異文化に来たことを実感した。

そのあとはホテルに戻る。
南京東路で歩いていると「マッサージ」とか「カワイイコイルヨ、ミルダケ、ミルダケ」
と10回くらい声をかけられた。
全部風俗のキャッチで、もし、「ミルダケ」ならいいか、と思ってついていったりしたら、タクシーに乗せられてもうアウトらしい。
ネットで調べると被害額は60万円になった人もいるとか。
中国怖すぎる。

ホテルに戻ると、
風呂に入って明日に備え、そのまま爆睡した。
奥田は初の海外がこの中国なので、かなりの刺激になったみたい。
早速いろんなものが見れて面白かった。




チョルポンアタ:中央アジアのリゾート

8/25

ビシュケク➡︎チョルポン・アタ(イシュクル湖)


キルギスではどこに行こうか決めあぐねていたが、やはり天山山脈を拝めるイシュクル湖へ行くことに決めた。前日サクラゲストハウスで湖最東端のカラコルを紹介されたが、ビシュケクから400キロ7時間とあまりに遠いため、中間地点にあるチョルポン・アタにひとまず行くことにした。これが大当たりであった。チョルポン・アタまではミニバスで4時間(ただし荒い運転の場合)、徐々に荒野のような風景になっていく。途中の休憩でアイスとサンドイッチを買ったが、これまたアイスがうまい。f:id:shallowwell:20140902031059j:plain

ビシュケクで両替するのを忘れたため、着いたらすぐに両替所に入る。ここで運命の出会いを果たす。そこで出会ったのは、一年間日本語を勉強していたというアジズさん。英語もペラペラであったため、さまざまな情報を得ることができた。最大の収穫は、知り合いの宿を紹介してくれたことだ。その宿はMakcatといい、男2人で泊まるにはあまりにおしゃれで素敵すぎるところであった。そこの女将のような存在であるアイーダさんが英語を喋れるため、大変お世話になることになる。当初チョルポン・アタには一泊し、カラコルに行くかもしくはビシュケクに戻ろうかとしていたが、あまりに素晴らしい場所であるため連泊することに決めた。着いたらまずは腹ごしらえ。前日はメニューのレシピが読めないため適当に頼むしかなかったが、今日はアイーダがいるから頼みたいものを頼める。ロシア料理を食べたいとお願いすると、ロールキャベツと小籠包のようなものが出てきた。どちらも中身はひき肉で、しっかり味付けされていてとても美味い。ロールキャベツはしっかり煮込んだスープがこれまた美味い。小籠包はトマトのソースをつけて食べる。その後はせっかく湖があるので泳ぎに行くことにした。もちろんこういう時のために海パンを準備してある。湖へはMacsatから歩いて5分だ。何組かの現地人が湖水浴に来ている。湖は透明度がかなり高い。宿といい湖といい最高でテンションが上がりまくる2人。早速湖に飛び込む。なかなか水は冷たいが、景色もよく最高だ。湖から上がると泳いでいる時に見えた桟橋に行って見ることにした。桟橋では、ダイビングをしようとしている人々がいた。とてもやってみたい。その場ではできなそうだったので、宿に戻って聞いて見ると、なんと明日連れてってくれると言ってくれた。値段は1人あたり5000円程度。かなり安いと思う。明日がとても楽しみになった。海で泳いで疲れたので、ジュースを買って休憩することに。アイーダがお酒を勧めてきたのでまだ17:00だが部屋で飲むことにした。コニャックとモヒート、チェイサーのファンタとポテチを買って約300円。とても安い。コニャックはウイスキーをさらに香りを強くしたような感じ。モヒートも日本のものより香りが強かった。日本のものの方が味が整っているという印象だ。夕食は通りに出て食べることにした。宿から出たところの通りには店がほとんどないが、一件だけ見つけたので入ってみる。英語が使えなかったら宿に戻ることにしていたが、見事綺麗なお姉さんが英語を喋れたので即決した。入った時は気づかなかったが、かなり高級店なようだ。まずはサラダを頼む。タンがふんだんに使われていて、とても美味い。400円。ここでは念願のシャシリク(串刺し肉)を食べることができた。ビーフのシャシリクにしたが、とても美味い。さらにマトンリブも頼んだ。マトンは臭すぎず、ワイルドな味わい。これぞ肉!という感じ。とても美味い。明日もリピートすることが決定した。お値段はやや高めで1人あたり1350ソム(1400円)。しかし日本で食べたら3000円はくだらないだろう。そのあとは星空を見に海辺へ向かう。千葉県の館山でみた星空に感動したばかりであったが、それを凌駕する星空をが見えた。天の川と思われるものも見えた。素晴らしい一日となったビシュケク➡︎チョルポン・アタ(イシュクル湖)


キルギスではどこに行こうか決めあぐねていたが、やはり天山山脈を拝めるイシュクル湖へ行くことに決めた。前日サクラゲストハウスで湖最東端のカラコルを紹介されたが、ビシュケクから400キロ7時間とあまりに遠いため、中間地点にあるチョルポン・アタにひとまず行くことにした。これが大当たりであった。チョルポン・アタまではミニバスで4時間(ただし荒い運転の場合)、徐々に荒野のような風景になっていく。途中の休憩でアイスとサンドイッチを買ったが、これまたアイスがうまい。ビシュケクで両替するのを忘れたため、着いたらすぐに両替所に入る。ここで運命の出会いを果たす。そこで出会ったのは、一年間日本語を勉強していたというアジズさん。英語もペラペラであったため、さまざまな情報を得ることができた。最大の収穫は、知り合いの宿を紹介してくれたことだ。その宿はMakcatといい、男2人で泊まるにはあまりにおしゃれで素敵すぎるところであった。そこの女将のような存在であるアイーダさんが英語を喋れるため、大変お世話になることになる。当初チョルポン・アタには一泊し、カラコルに行くかもしくはビシュケクに戻ろうかとしていたが、あまりに素晴らしい場所であるため連泊することに決めた。着いたらまずは腹ごしらえ。前日はメニューのレシピが読めないため適当に頼むしかなかったが、今日はアイーダがいるから頼みたいものを頼める。ロシア料理を食べたいとお願いすると、ロールキャベツと小籠包のようなものが出てきた。どちらも中身はひき肉で、しっかり味付けされていてとても美味い。ロールキャベツはしっかり煮込んだスープがこれまた美味い。小籠包はトマトのソースをつけて食べる。その後はせっかく湖があるので泳ぎに行くことにした。もちろんこういう時のために海パンを準備してある。湖へはMacsatから歩いて5分だ。何組かの現地人が湖水浴に来ている。湖は透明度がかなり高い。宿といい湖といい最高でテンションが上がりまくる2人。早速湖に飛び込む。なかなか水は冷たいが、景色もよく最高だ。湖から上がると泳いでいる時に見えた桟橋に行って見ることにした。桟橋では、ダイビングをしようとしている人々がいた。とてもやってみたい。その場ではできなそうだったので、宿に戻って聞いて見ると、なんと明日連れてってくれると言ってくれた。値段は1人あたり5000円程度。かなり安いと思う。明日がとても楽しみになった。海で泳いで疲れたので、ジュースを買って休憩することに。アイーダがお酒を勧めてきたのでまだ17:00だが部屋で飲むことにした。コニャックとモヒート、チェイサーのファンタとポテチを買って約300円。とても安い。コニャックはウイスキーをさらに香りを強くしたような感じ。モヒートも日本のものより香りが強かった。日本のものの方が味が整っているという印象だ。夕食は通りに出て食べることにした。宿から出たところの通りには店がほとんどないが、一件だけ見つけたので入ってみる。英語が使えなかったら宿に戻ることにしていたが、見事綺麗なお姉さんが英語を喋れたので即決した。入った時は気づかなかったが、かなり高級店なようだ。まずはサラダを頼む。タンがふんだんに使われていて、とても美味い。400円。ここでは念願のシャシリク(串刺し肉)を食べることができた。ビーフのシャシリクにしたが、とても美味い。さらにマトンリブも頼んだ。マトンは臭すぎず、ワイルドな味わい。これぞ肉!という感じ。とても美味い。明日もリピートすることが決定した。お値段はやや高めで1人あたり1350ソム(1400円)。しかし日本で食べたら3000円はくだらないだろう。そのあとは星空を見に海辺へ向かう。千葉県の館山でみた星空に感動したばかりであったが、それを凌駕する星空をが見えた。天の川と思われるものも見えた。素晴らしい一日となった



帰国とこれから。

2/25水

11時15分のフライト。
余裕を持って出発2時間前に起きてパッキング。
余裕を持ちすぎて時間余る。
スイス人は寝てて結局挨拶もできず。
連絡先聞き損ねた。

2時間半前に空港入り。
余裕を持って着きすぎた。
まぁ何事も余裕があるのが大事。

ということで、
ここからはフィンエアーでヘルシンキを経由して帰国。
もっと英語を喋りたい症候群になったので、
飛行機でも日本の京成線でも隣の外国人と話した。笑

英語圏には行っていないけど、英語力はモニター留学の時より上がった気がする。それでもまだカタコトだけど。
ここで日本語だけの生活に戻ってしまうとせっかく上がった英語力がまた落ちてしまう。
このまま話すことを継続して勉強もして普通に話せるようになりたい。

今回の渡航でいろんな学生に触れて、1年間留学したいという思いは確固たるものになった。
なにが学びたいかと言われると、特に決まっていない
そういう意味ではファッション留学という言葉がぴったり。
でも海外で1年間過ごすことで得られる刺激や経験は日本にいるだけよりも格段に多い。
自ずと英語力もあがる。
それなら世界一周でもいい気がするけど、俺には一人旅より留学が向いている気がした。

トビタテ留学JAPAN
一橋の如水会留学
に応募してなんとか留学を勝ち取れば、かなり安く留学できる。
もしこれらに通らなくても私費でも留学する。これは決めた。
あとはどこに行きたいか、
何をしたいかをしっかり煮詰めていきたい。

ということで、帰国して実家に帰って昼寝した後、
17:00からお茶の水でのトビタテ留学JAPANの一期生の説明会に行ってきた。

やはり中身が大事だとか。
なにをするのかしっかり固めていこう。
やはり浮かぶのは中国。

この三月を無駄にしないようにしよう。

最終日/ヴィエナ/雨

2/24 火

明日の午前の便なので、実質最終日。
早く起きなくていい日ほど勝手に早く目覚める。

時間を持て余したのでもっと寝るつもりだった今福を
電話で起こしてウィーンの街に出る。

ちなみにWienの英語名はVienna。
ドイツ語名と英語名が違うのがややこしい

この日はルームメイトの福田さんも一緒。

130メートルの尖塔をもつシュテファン大聖堂を見る。

その後は、ウィーン名物と検索すると真っ先に出てくるヴィーナーシュニッツェルを食べに行く。
シュニッツェルとは、仔牛のカツレツこと。

僕らが行ったのはもっとも伝統的で有名なシュニッツェルのレストラン、フィグルミュラー。
皿からはみ出した顔より大きいサイズのカツレツが出てくる。
とても混むとのことなので、開店11時の10分前に到着。

なんだガラガラじゃんかと思ったら、ほとんどの席が12時から予約されてた。
早く来てよかった。
13ユーロとかなり高いけど、こんな名物を逃すわけにはいかない。

やはりでかい。
オススメされた赤ワインを頼んでしまい、
お金がないので付け合わせのサラダとかパンとか頼めず。
ひたすらワインとともにカツレツだけを食べていく。

このカツレツ、かなり薄く揚げられていて、
普通のカツなら胃もたれするサイズだけど
かなりスッキリと完食できた。
とても良質な油で、上手に揚げられているのだろう。
ちなみにすらっとした中国人女性も同様に頼んでて、完食したはず。

2人レインコートでの高級店に入店だから場違い感はあったけど、満足。

シュテファン大聖堂の尖塔に登る。狭い螺旋階段を330段ひたすら登る。
閉所暗所恐怖症の父には耐えられないだろうなと思った。笑

景色はまずまず。
ウィーンは新市街もかなり食い込んでるからすごくいいわけではない。


そのあとは19世紀の大国、オーストリア帝国を築いたハプスブルグ家の王宮ホーフブルクへ。
火曜は中には入れないので、外観だけ。
建物は白が基調で、屋根やドームは緑。いたるところに像がある。

そして、ハプスブルグ家のマリアテレジアやその息子フランツヨーゼフが夏の離宮として使ったシェーンブルン宮殿にも行った。

ここは世界遺産で、宮殿と広大な宮廷が広がる。
正面の丘に立つ門もいい味を出している。
プロイセン王国の離宮だったポツダムのサンスーシ宮殿よりも俺は好きだ。

せっかくだから宮殿の中も入る。
あまりに豪華に城をこしらえたバイエルン王国の城を見たせいか、
あまり飾りすぎていない、という印象。
たとえば王のベットを比較すると、バイエルン王国は屋根まで付いてて
その上にゴシック風の彫刻まであってガシガシに飾られていたのに対して、
ハプスブルグ家の皇帝フランツヨーゼフのベットはかなり簡素。
内装も白が基調。ロココ様式は尖った感じがなく、かわいらしい。
とても趣味がいい。
そして飾られている絵が美しい。

女帝マリアテレジアの絵は何枚あったかわからない。
マリアテレジアは自分の行軍に何千もの人を従えたらしい。

趣味はいいにしても、市民の血税で王族のためだけに
これほどにも豪華な宮殿を作ってしまうことには
やはりいただけないですね。
権力を示すことに大きな意義があったんだろうけど。

まぁシェーンブルン宮殿はこの旅の中でかなり上位にランクインするよさだった。
ウィーンに行ったらここは逃せません。

サンスーシ宮殿もケチらず中に入れば比較できたのにな。

宮殿ではザッハトルテという、これまたウィーンで一番有名なお菓子を食べることができた。
これはザッハというホテルのチョコレートケーキで、
ウィーンではザッハとデーメルという店以外では見つけにくい。

チョコレートケーキはかなり甘くて
甘くない大量の生クリームととともに食べる。
俺はかなり好きだけど、
甘すぎるので食べきれない人もいるかもしれない。

その後はオペラを見に行く。
ウィーンは国立歌劇場は世界三大オペラ座の一つだと聞いた。

安い席なら3000円くらいで観れるのだと思うけど、俺らはそんな金ははいから立ち見で見る。
たったの約500円。

ちなみに席で見る場合は正装で見ることが求められる。
レインコートで来ている立ち見の俺らと
美しく着飾ってワインを飲むシートの人々の間に
貴族と下級庶民のような格差を感じた。笑

見たオペラはアンドレア・シェニエという知らないもので、
内容もイタリア語(?)でイマイチわからなかった。

21時にスーパーが閉まる前に酒盛りがしたかったので、
庶民たちは休憩時間に途中退出を決行。

ちなみに帰りのウィーン→ヘルシンキの便で隣に座ったおばさんがウィーンに11泊もしてたオペラオタク。
俺らが見たオペラはつまらないやつだから
もっと評判のいいやつを次は見るべきって物知り口調でいわれた。



俺が最後の夜だから、スーパーでビールとつまみを買って酒盛り。
俺がどうしてもリピートしたかったケバブも買って食べた。
ポツダムで食ったビーフケバブのほうが少し高いだけあって美味しかったけど、文句無し。
ケバブ好きだなぁ。

宿ではまたスイス人とトランプをしたり、他にいた日本人と飲んだりした。
途中から昨日演奏していたメンバーたちに入れてもらってウォッカを飲む。
俺の最後の夜ということで今福が少し盛り上げてくれた。
弾き語りもし始めるし最高。

楽しいから徹夜からのフライトも見えたけど、さすがに2時に就寝。
帰りたくない、と思える本当にいい夜になった。
こういう瞬間のためにみんな旅をするんだなぁと、そう思う。
いろいろと至らないところやうまくいかないこともあったけど、気持ちく最後を迎えられた。
いろんな出会いや経験ができたことに感謝。



スロバキアなんて行くとは思ってな...

2/23 月

ミュンヘンより国境越え
夜行列車で朝6時ウィーン着。
アラームを気づかないうちに止めてて到着寸前に起きてなんとか降りる。
アラーム鳴ってるのに無意識に止めるとか初めてだったな。危なし。

ちなみに夜行は今度は本当に普通のシートだった。
6人の部屋に3人しかいなかったからなんとか足伸ばしてちゃんと寝れたけど...
6人いたらあの狭さは苦痛だったろうな。

ちなみに「葛根湯」を飲んだので、体力はしっかり回復した。
よかった。

今日は今福と合流。
今福はインフルにかかったために渡航が遅まり、
本来会うはずがなかった俺とウィーンで完全に日程が被るというまさかの偶然。
イギリス、中央アジアに続き、彼といるのは海外3度目。
ホテルは別にしようと言ってお互いで取ったホステルまで
たまたま一緒だった時は笑いが止まらなかった。

今福がスロバキアの首都ブラチスラバに行くといっていたから、
俺もついていくことに。

スロバキアなにそれおいしいの?
状態だったけど、
今福が旅仲間からすすめられたのだろうから
さぞ いい街なんだろうな。

スロバキアになんて行くとは全く思っていなかったけど、
意外にウィーンからバスで一時間の近さ。

スロバキアは俺がこの渡航で訪れる初めての元共産圏。
今まで訪れた街の街並みとはどこか違い、ソ連時代の名残を感じる。
中央アジアの街並みを彷彿とさせられた。

曇っていて、霧も深い。
40メートル先も見通せないほど。

そしてブラチスラバの旧市街の街並みは大したことがない。
お互いスウェーデンやチェコの美しい街並みを見てしまっているから、
それと比較するとしょぼい。
そしてあまりにひと気がない。

街のいいところを必死に見つけようとする2人。
マンホールから身を乗り出している銅像があったり、他にもさまざまな銅像がある。
そういうところが街の魅力の一つらしい。
そういう街のいいポイントを必死に褒めたたえてスロバキアに来た意味を見出していく。笑

そのあとは街のメインである城に登る。
城は高台にあり、今福はバングラデシュ人にそこから見える景色をオススメされて来ることにした。

見えたのは真っ白い世界が広がる絶景。
つまり、霧が濃すぎて景色が何も見えない ってこと。
月曜日なので城の博物館もやっておりません。
爆笑。


こうなってくるとメインは食事。
スロバキアは物価が比較的安いから期待できる。
散々歩いて探して入ったのは、歩き方に乗っていたかつてそこで醸造していたというビアホール。
昼間っからビール飲む。

料理はスロバキア名物の、ポテトダンプリングと羊のチーズの料理。
うまし。
カリカリベーコンの塩味がきいていてビールに合う。
そしてブラチスラバビール美味しい。
すっきりしていていい。
ビール好き今福も絶賛。

他にすることもないからもう一杯飲む。
2人とも強くないから昼間から顔が赤い。笑

この後、ドナウ川にかかる橋の上に謎の展望台的UFO的な物体を発見。

二本の斜めの鉄骨に支えられていて、どこから登れるのかよくわからない。
ひとまずすることもないので行ってみることに。
ふもとまで行くと、どうやらエレベーターで鉄骨の中を斜めに登って行く様子。
することもないので登ってみることに。
100メートルの高さまで登って、4ユーロ。

霧がさっきより晴れていて、曇っているものの景色は良くなっていた。
旧市街の街並みはまぁまぁきれい。

展望台のなかにおしゃれなカフェとソファがあり、WIFIが通じたので座る。
何も買うつもりはなかったけど、3回催促されたので仕方なくマフィンを買う。
なんでスロバキアの展望台で今福と女子大生みたいなことしてんだろう。笑

まぁなんだかんだ、今福とは一番気があうな。
こんなに気を遣わずに一緒に旅できるやつはいない。


今福が取ってくれたバスが20:30
ブラチスラバに10時間も滞在するとはなんとも検討違いな計画を立ててくれたものだ。笑
20:30まで時間を潰せる自信がなかったから、早いバスで帰ることにする。
1時間半待たなくてはいけなかったため、wifiの入るマックで休憩。
海外ではマックが本当に頼りになる。
一方で日本にはwifi環境が少ない。
wifiだけならスロバキアより不自由な気がする。
旅行者にとって本当に不便だと思う。

ウィーンの宿に帰る。
さすがに今福と部屋は違った。笑
部屋に日本人がいた。歓喜。
四年生の福田さん。
就職前に3週間ヨーロッパを回っているとか。
明日一緒に回ることになる。

宿の雰囲気はめちゃくちゃいい。
宿のバーに行くと。宿泊者のグループが弾き語りをしていて、その歌のハーモニーが絶妙だった。
ずっと聴き入ってた。

ルームメイトのスイス人2人組もとてもナイスガイ。
一緒にスイスのトランプをやった。

1人はハッパやってるけど、酒がきらい。そして本当にいいやつ。
大麻はタバコより害がないって言ってたの聞いたのこっちで3回目くらいだな笑

霧がかったブラチスラバという
こんなつまらない状況でも、
誰かと来ると楽しく過ごせてしまうからいい。
体調が無事戻っていい一日を送れてよかった。
明日はついに最終日だい。


ミュンヘンでの闇


2/22 日

この日は3週間の中でもっとも暗黒。
俺の渡航の中の黒歴史。

電車のチケットを前日まで取らなかったせいで値上がりしていて、
ウィーンへは夜行列車での移動となった。

朝起きると、喉が痛い。
ひとまずホステルの朝食。
体調は悪くてもなぜか食欲を失うことはないのでこっけいなほど食べる。

10時にチェックアウトなのでギリギリに出る。
この時点で体のダルさを感じていた。
その上雪が降っていて極寒。

ひとまずスーツケースをロッカーに預ける。
メインのマリエン広場にある新市庁舎にいく。
ここにはドイツ最大の仕掛け時計があって、12時になると人形が動き出す。
自分が想像したような人形の手足の動きはなかったけど、
これが1909年に完成したと思うとすごい。

ちなみに寒空の下待たされていて、体調悪化。

日曜日なので、3つある美術館の入場が1ユーロ。
あわよくば休憩室的な場所で寝られることを期待して訪れる。
訪れたのはノイエ・ピナコテーク。19〜20世紀前半の作品がある。
.期待したような空間はないけど、せっかく来たから重たい体で鑑賞。

ゴッホのひまわりを見つけた。
本当に本物なのか?
と思いwiki先生に聞いてみるとゴッホは7つもひまわりを書いていて、しかもそれぞれ本数が違うらしい。
絵の鑑賞は自分にとってはあまりおもしろくなく、体調が悪かったために3割も見ずに退出。

どこか寝る場所が欲しい。
明らかに熱がある。
夜行列車にしてしまったことで帰るホテルがない。
寝る場所が欲しいけど日本のまん喫みたいなところはない。
カフェで寝るわけにもいかない。
誰かに助けを請う勇気もない。

ということで、思いついた手段が、泊まっていたホステルのスペースで寝ること。
実はホステルの公共スペースに寝られるマットがあったのだ。
16時頃にホステルに戻りいかにも宿泊者風の顔をしてマットのスペースへ。

23時の夜行の時間までグダグダ休憩。
なんという無駄な時間。

この日は旅行中は思いたくない「日本に帰りたい」という思いが強くなった。
そしてそういう思考になったとき初めて日本とヨーロッパの距離を実感する。遠い。
これからあと12時間も飛行機に乗らないと帰れない。
もし飛行機がなかったらどれだけかかるんだよ、
とか考えたり。

まだあと3日あるのに、旅する気力を失いかけた。
体調悪いとネガティヴ思考が前面に出てくる。
心が弱い証拠です。

とにかくひとりで旅行するには未熟なところが多すぎた。
計画や体調のマネジメントしかり、コミュニケーション能力しかり、英語力しかり。
これらがしっかりしていればこんな思いをすることはない。

バイトにもサークルにもいかず家族も置いてきて
せっかく時間をいただいているからあと3日、いい経験をしよう!!


絶壁城ツアー

2/21 土

7時にミュンヘンに到着。
シャワールームがあるはずなのに探してもない。
仕方ないから公衆トイレで頭だけ洗う。
公衆トイレといっても使用に1ユーロかかり、中に掃除スタッフの部屋や洗濯機まであり、かなり広々として清潔。
朝なので人も少なく、かなり快適に身支度できた。

ミュンヘンでは、MOSの一年生メンバーと合流。ノイシュバンシュタイン城という日本人観光客がどっと押し寄せるスポットに行く。
ドイツ旅行に少しでも興味がある人なら誰もが知っている城と言える。
ちなみに彼らはストックホルム→コペンハーゲン→フランクフルト→ミュンヘンと鉄道で移動するプランを組んでいて、
ちょうどミュンヘンの日程が被ったから一緒に行動することにした。

ノイシュバンシュタイン城はミュンヘンから2時間の位置にあるから、より楽でいろんな場所を回れる安いツアーで行く。
半分くらいは日本人だった。

まずはこのツアーは、19世紀に栄えたバイエルン王国の王が作った城をメインに見ていく。

まず最初のリンダーホーフ城は、バイエルン王ルートヴィヒ2世の隠れ家。
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自身は城の二階に住み、二階には自分以外は立入禁止だった。
召使いに作らせた料理を奈落のような仕組みを使ってテーブルごと上に運ばせるほどの徹底ぶりだったとか。
中は金ぴかで、壁や天井は豪華に装飾されている。
よくもまぁこんなところで一人で暮らせるな、と思うくらいの華美さ。
ちょっと趣味が悪いなというのが我々の総意でした。笑

次にオーバーアマガウという街に少し寄った。
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山岳地帯のメルヘンチックな街で、お土産屋や小物屋も含めてキリスト教色が強い。
誰かが軽井沢みたいだと言っていた。
当然軽井沢が模倣なので軽井沢よりはレベルが高い。

そしてようやくノイシュバンシュタイン城に向かう。
ノイシュバンシュタインはバスを降りて40分登ったところにある。
ドイツでビールを飲んでいなかったので、ビールとソーセージを買って歩く。

一口目の突き抜ける美味しさ、わかってきた。

途中凍っていた湖があったから恐る恐る歩いてみたり。
予想以上に分厚く、かなり重たい石を叩きつけても割れなかったから氷を滑ってはしゃいだ。
これについては一人じゃなくてよかった。笑

日本人がノイシュバンシュタイン城に惹かれるのは、絶壁に立つ城の美しい写真が有名だからだろう。
つまり、行くからには絶壁に城が立つ様子を見たい。
しかしそれが見れるポイントである吊り橋への道は冬季通行止め。
絶景ポイントは諦めてかけていると、道の外れに吊り橋の方向へ向かうアヤシゲな道あり。
女子2人はリスクを冒さないので、男だけで行った。
20分ほど行くと、そこには吊り橋があった。
素晴らしい景色。曇っていたのが残念。
結構進入禁止を破って来ちゃう人が多くて、吊り橋は混雑していた。笑

行ってみないと分からないっていうモットーはやっぱり大事にすべきですね。
そして真面目な人は損をする。こういう仕組み。

なぜこんな絶壁に城を作ったかというと、王ルートヴィヒ2世が普澳戦争に敗北した後に、気を病んで、そんな自分のために作った城らしい。
城内は今まで見た城や宮殿の中でもっとも感動した。
リンダーホーフ城みたいな趣味の悪さはなく、
息をのむように美しい壁画や天井画が描かれていた。
ちなみに絵はある伝説がモチーフで、ルートヴィヒ2世がその主人公に理想の自分を投影して描かせたらしい。
しかしいくら気が病んでいるとはいえ、市民のこともかえりみず国の財産で自分のためだけにこんなたいそうな城を作ってしまうのはやはりどうかしてる。
城の中なのになぜか洞窟が現れたりと、迷走っぷりも伺えた。

バスでミュンヘンに戻る。
ミュンヘンでは豚の骨付き肉が名物らしいからそれを食べれるレストランに行くことに。
英語の説明さえもイマイチわからず、結局求めていた骨付き肉とは違うものが出てきたが、それはそれで美味しかった。高かった。(13ユーロ)

南ドイツは北よりもさらに英語が通じにくいと感じる。
そして俺の英語は聞き取りにくいらしく喋り始めるとだいたい怪訝な顔をされる。
日本人発音どうやっても抜けませんね、、

ホステルは少し中心から遠い。
友だちができなかったから猫に相手してもらってたよね。笑

服がなくなるので洗濯をするも洗濯機の使い方がイマイチわからず、時間かかって寝るのが遅くなった。